結局アメリカの食文化ってなんなんですか

こんにちは。江原です。

アメリカに住んでいると、食文化を国名でくくるということに違和感を覚えるようになります。アメリカ料理、という名のもとでくくることのできる料理体系があまりにも曖昧だからです。例えば、1日の中で、朝食にブリートを食べ、昼はカリフォルニアロールを食べて、夕飯にはピザを食べたりする、なんてことがざらにあります。本来ならメキシコ、日本、イタリアに起源を持つ料理を1日で、しかも同じ場所で、当たり前のように食べて生活しているわけです。これは、アメリカが移民の国であり、文化的に多様な土地であることの象徴として片付けることもできますが、はたして本当にそれだけでしょうか。

僕はアメリカにいて日常的に食べるブリートをメキシコ料理だとはほとんど意識しませんし、ペパロニのピザもイタリア料理だとは思いません。なぜならそれらはもれなくはっきりと「アメリカナイズ」されているからです。どういうことかといえば、例えば、カリフォルニアロールは決して日本で生まれたレシピではないですし、日本で日常的に食べられている料理でもありません。僕が日本で口にしたことのある「寿司」ではありませんし、アメリカでカリフォルニアロールを食べたからといって妙に日本が懐かしくなったりはしません(鯖の塩焼きを食べた時はなりました)。カリフォルニアロールに関しては僕自身の日本での育ちによるものもあるのかもしれませんが、ブリートにしろピザにしろ、料理自体がアメリカという大陸において一種のガラパゴス化的な変化をとげて来たように感じます。つまり、世界各地の色々な食文化の一部が移民を通してこの土地に伝わり、時間とともにそれらのレシピが変化したものが、普段僕が口にする形の料理の形に落ち着いていった、ということです。

中華料理なんかも、便宜上は僕も中華中華言いますが、 実際には麻婆豆腐と八宝菜を同じカテゴリーで考えるのには少なからず無理を感じます。(実際中国においてこれらふたつの料理は、まったく異なる地域の料理体系に属するものとして考えられているそうです。)アメリカという歴史が浅い国では、食文化というものの定義自体が曖昧で、日本では体験したことのない違和感を覚えることがある、というわけです。

人間は誰しも固有の価値観を持っていますが、それは裏を返せば無意識のうちにバイアスが存在することでもありますし、我々は常にものごとをカテゴライズすることで自分たちの知識や経験に照らし合わせて世界を理解しています。食というのは、誰しもの生活に密接に関わるものですし、それを考える時に、国、というもうひとつ誰しもに共通する概念を照らし合わせるというのはごく自然に思えます。文化はナショナリズムと密接に関わるものだと思いますし、文化を国でくくるというのは便宜上は非常に有用なので、決してそれが悪いというふうには思いません。しかし、いろんな人種や文化的背景をもつ人間が世界中に点在する現代において、国イコール特定の文化圏、といった考え方はむしろ気持ち悪さすら覚えるのも事実です。

さて、そんなアメリカでの食生活ですが、もしカリフォルニアにくる機会があれば是非試して頂きたい料理があります。ひとつは、In N Outというハンバーガーチェーンのハンバーガーです。僕は日本で中学生をしていた時、ハンバーガーに対してあまりおいしいというイメージが無かったのですが、高校生になってカリフォルニアに来てこのお店のハンバーガーを食べた時、なぜアメリカ人がそんなにもハンバーガー好きなのかが少しわかった気がしました。妙な健康志向で名高いカリフォルニア人も大好きなハンバーガーです。もうひとつは、カリフォルニアの各地にある、オーセンティックなメキシコ料理を出すレストランです。アメリカ人は大抵チポーレやタコベルのようなチェーン店でタコスを食べますが、メニューがスペイン語のみで壁掛けのテレビでメキシコサッカーの番組を流しているようなメキシコからの移民がやっているお店では、チェーン店とはまるで異なる料理が体験できます。日本ではめったに味わえませんし、味もボリュームも値段も申し分ないことがほとんどなので、おすすめです。

ということで、今回はアメリカでの食生活について書きました。それでは。

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