ボーディングスクールの厨房で働くということ

こんにちは。江原です。風邪です。

Stevenson卒業直前の今年の春、同級生数人と一緒に、学校に関わるいろんな人にインタビューをしてポートフォリオを作ろうとしたことがありました。企画自体は結局頓挫してしまったのですが、その時のインタビューのひとつについて今日は書こうと思います。

Stevensonは学校として当然、生徒と教員が中心となってコミュニティを形成しているのですが、学校にはそれ以外の人もたくさん出入りしています。僕は12年生時、そんな人のひとりと友だちになりました。Stevensonの食堂で働いていたスタッフは、ヒスパニック系の人が多かったのですが、そのほとんどが中年で、所謂おじさんやおばさんでした。しかし僕が12年生になった去年の秋から、「お兄さん」と呼ぶにも若すぎるぐらいのスタッフがひとり加わりました。彼自身もスペイン語を喋るヒスパニック系でしたが、彼をはじめてみた時、立ち姿や喋り方がまわりのスタッフからは目立って若かったのが印象的でした。そして秋学期が終わる頃には、どういうわけかごはんをよそう時や食器の片付けをする時などに雑談をする仲になりました。スペイン語を教えてもらったり、サッカーの話題で盛り上がったりと、一度に長い時間しゃべることはほとんどありませんでしたし、お互いの名前も知りませんでしたが、僕にとって食堂に行くひとつの楽しみになりました。彼も毎日学校に来るわけではありませんでしたが、彼にその日のメインディッシュのポークソテーをよそってもらいながら冗談を言い合う仲は、僕の卒業まで続きました。

ポートフォリオの企画を発案した時、インタビュー相手として真っ先に頭に浮かんだのは彼でした。Stevensonの生徒や教員はもちろん、他の長年学校に勤めているスタッフとも違う角度から学校を見ていると思ったからです。そういうことで、卒業が数週間後に迫ったある平日の夕方、いつものように夕飯を食べに行った食堂で彼を厨房の奥から呼び出してもらい、インタビューの旨を伝え、その週末にインタビューをすることになりました。

待ち合わせの日曜日の昼過ぎに寝間着のまま食堂に行くと、彼は食堂の裏口の外で白い塩化ビニールの長靴を履いて高圧洗浄機でバケツの掃除をしていました。少し待ったあとに、食堂の外側にあるベンチでインタビューをはじめました。日の光が眩しくも心地よい、春を感じさせる天気でした。

インタビューはまず、彼の基本的なバックグラウンドを話すところから始まりました。彼(J君)はメキシコ出身で、アメリカには9ヶ月ほど前に来ました。18歳で、Stevensonにほど近いコミュニティカレッジに通っています。(僕は、彼が自分と同い年だと知った時、内心かなり驚きました。)コミュニティカレッジ卒業後はカリフォルニア大学サンタバーバラ校に進学したいと考えているJ君は、3人兄弟で、今はお父さん(Stevensonの食堂のシェフだそうです)と一緒にふたりで暮らしています。アメリカに来る前は、メキシコ南部のOaxacaという地域で暮らしていました。

メキシコでの生活について聞いてみると、メキシコでの生活は、アメリカでの生活とは全てが違っていた、とJ君はすこし語気を強めました。アメリカと比べると、メキシコには成功する機会が極端に少ないそうです。教師やカリキュラムをはじめとし教育の質は低く、汚職が日常的に起きているとのことでした。また、食べ物がない人がいれば、仕事がない人も大勢いるし、暴力も横行しているそうです。親切な人ももちろんいるけど、あまり住みやすいところではないよ、とJ君は言います。

アメリカの市民権を持つJ君は、少なくとも大学を卒業するまではアメリカにいたいと考えているものの、その後についてはなにもわからないと言います。メキシコに戻るべきか、アメリカに骨を埋めるか、まだ迷い中だそうです。彼にとってはっきりしているのは、メキシコの社会制度が嫌いだ、ということです。汚職だらけでお金がなければ何もできない社会に、J君は嫌気がさしているようでした。

アメリカに来ることに決めた一番の理由はよく覚えていないな、とはにかむJ君でしたが、お父さんや親戚もいるし、アメリカに来て本当に良かったと振り返ります。アメリカでの生活は、人々は親切だし、食文化を除けばほとんど何もかもがメキシコより良いんだ、と言います。アメリカで過ごす時間は、どの瞬間も幸せに感じるそうです。彼自身もなぜそんなにも幸せなのかはわからないそうですが、コミュニティカレッジで過ごす時間、食堂で働きながらStevensonの学生と話す時間、友達とサッカーをする時間、サルサダンスを教えている時間など、アメリカでの生活はその全てが幸せなんだ、と言います。

今一番困っていることは、という質問にJ君は、メキシコにいる家族が恋しいよ、とこたえていました。お母さんをはじめとし、お父さん以外の家族は全員メキシコにいるそうです。家族は恋しいけど、それも人生のひとつの側面だと考えているそうです。今はメキシコには3, 4ヶ月に一度帰るそうですが、「人生で成功するには、なにか大切なものを犠牲にしなきゃいけないだろ」と笑います。

Stevensonについて聞いてみると、「本当にいい学校だと思うし、自分もこんないい学校に一度でいいから通ってみたかったよ」とのことでした。生徒も皆親切だし、キャンパスも天気も最高で、文句のつけようがないそうです。

最後にポートフォリオ用の写真を撮り、インタビューは終わりました。写真を撮り終えると、彼はまたすぐ厨房の裏手に戻っていきました。僕はそのままベンチに残り、寝間着の袖をめくって、しばらくの間ぼーっと遠くを見つめながら日にあたっていました。

J君をインタビューをしてまず思ったのは、普段当たり前のように冗談を言い合っていた彼のことをほとんど何も知らなかった、ということです。そもそも彼の名前や年齢も知りませんでしたし、J君のメキシコへの思いや、彼の将来のことなど考えたことすらありませんでした。普段日常的に接している人の中でも、どんな環境で育って普段何を考えているかを少しでも知っている人は、かなり限られているということを思い知らされます。

また、自分と同じ年数を生きてきたJ君のアメリカやStevensonに対する考え方は、自分のそれとは似ても似つかないことも発見のひとつでした。J君がメキシコとアメリカを比較するように、僕も日本とアメリカをしょっちゅう比べながら生活していますが、少なくともアメリカが日本より全てにおいて勝っていると思ったことはありません。僕は、日本にもアメリカお互いにいい所はある、という考えでしたが、J君のメキシコの話を聞いて、日本やアメリカでの生活がかなり恵まれていることを感じると共に、一度メキシコにも足を運んで実際に現地の生活を見てみたくもなりました。ただ、食文化に関しては確実にメキシコの方がいい、というJ君の意見には、アメリカでカキフライが恋しくなる僕もとても共感しました。また、Stevensonに一度でもいいから通ってみたかったな、とJ君は笑顔で言っていましたが、普段学校に些細な文句ばっかり言っていた生徒の一人としては、後ろめたさも覚えました。

ホームシックや将来への不安など、自分とJ君が重なる部分もありましたが、それ以上にインタビュー中は、自分たちが住んでいる世界が違うものに感じることの方が多かったです。また、同年齢のJ君が人生についてかなり肝の座った考え方をしているのをみて、頼もしさも感じると同時に、自分ももっと自立しなければ、と焦りも感じました。結果的にポートフォリオにはできませんでしたが、J君から感じたことは多く、インタビューできて本当に良かったです。


J君が今もStevensonで働いているかどうかはわかりません。僕の卒業の数日前の夕飯時に、卒業式の日は学校には来れないよ、と別れの挨拶をしてくれました。その時から今日まで、彼のことはほとんど考えませんでしたし、この先考えることも恐らくないでしょう。ですが、彼の教えてくれたスペイン語の挨拶、Qué pedo wey!、だけは僕の日常会話の一部として残っています。 

次回は、アメリカの食文化について書きたいと思います。それでは。

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