クロスカントリーのはなし

皆さんこんにちは、江原です。僕が去年クロスカントリーチームを引退してから約一年が経ちました。ということで今日は、僕のクロスカントリーチームでの3年間について書こうかと思います。 

そもそもクロスカントリー(クロカン)というスポーツをご存知でしょうか?ここでいうクロカンとは、陸上競技のひとつで、屋外に設けられた舗装されていないコースをどれだけ早く走れるかを競うスポーツです。基本的に試合のコースは3マイル(約5キロ)で、山道や、ゴルフコースや、砂漠で行われます。一応はチームスポーツの形を取っており、例えば各チームから7人の代表選手が同時に走り(一度のレースで100人以上が走ります)、それぞれの上位5人の合計タイムで順位がつきます。僕の通っていたStevenson Schoolでは、学校のすぐ近くに森もビーチもあり練習場には恵まれていました。毎日の体幹トレーニングを含め練習はかなりハードだったので、体力的にも精神的にも鍛えられました。 

そんなクロカンですが、今振り返ってみると、クロカンを走ることの自分にとっての意味は3年間を通して大きく変化しました。 

最初の年、クロカンは僕にとって学校のコミュニティのどこかに自分の居場所を見つけるための手段でした。寮生活あるあるの記事でも少し触れましたが、アメリカの高校では学期ごとに参加できる部活のスポーツが変わるので、秋学期のスポーツは学校が始まる前に登録しなければいけません。僕は日本の学校ではずっとサッカー部員だったのですが、カリフォルニア州の高校ではサッカーは冬のスポーツなので、秋は他のスポーツを選ばなければいけませんでした。そこで、ちょうど冬のサッカーシーズンに向けて良い体力づくりになりそうというかなり軽い理由でクロカンを選びました。しかしいざ実際に学校に着いてみると、今まで自分が日本で慣れ親しんでいたものとの環境の違いに圧倒される中で、クロカンの練習に行っても、コーチの英語もあまりわからず戸惑うばかりでした。そうした中で、唯一自分にとって明確だったのが、はやく走ればチーム内で認められる、ということでした。正直自分の走力以外に自分の存在意義がクロカンチーム内にあるとも思えず、毎回の練習や試合で周りに脇目も振らずとにかくはやく走れば自分が認めてもらえ、学校内に自分の居場所が見つかると思っていました。練習はとてもきつかったですが、自分のはやく走るという努力も報われ、結果的には一軍チームで活躍することができ、クロカンを通して親しい友人もできていきました。 


試合前のリラックスした表情の筆者
2年目の11年生時、クロカンは痛みとなりました。足を怪我してしまったのです。生まれつきの扁平足が悪化し、それを庇うように走っていたら膝を痛め、おまけにシンスプリントさえも経験しました。ランナーにとって足の怪我は致命的です。走れなくなってしまった僕は、フィットネスバイクでの練習を余儀なくされました。学校の周りの森やビーチで走る練習をするチームメイトとは離れて、毎日キャンパスのはずれにあるコーチの家の裏庭にあるフィットネスバイクを漕いでいました。フィットネスバイクは日陰にあり、海からの風がふくたびに鳥肌がたっていたのを思い出します。何より、周りにチームメイトやコーチがいない状態での練習だったので、練習に行くたびに孤独を感じ、一年目には気にも留めなかったチームメイトの存在を思い知らされました。この経験を通して、チームメイトを気にするようになり、彼らとの仲が親密になったように思います。ちなみに、記憶が定かでありませんが、シーズンを通して走りきった試合は恐らくシーズン最終戦のみかもしれません。 

12年生時、最後の年は、素晴らしい中敷きに出会えたこともあり、怪我の影響を最小限に抑えることができました。とはいえ怪我が完治してはおらず、自分が思い描いていた通りのパフォーマンスは発揮できませんでしたが、練習のたびに、自分が走っているという事実に喜びを感じていました。練習は当たり前のようにきつかったですが、そのきつさすら楽しく感じることさえ多々ありました。怪我の影響もあり10年生のときほど「はやいランナー」には戻れませんでしたが、怪我をしたことで走ることを心から楽しめるようになりました。 

人生は偶然の重なりあいのような気がします。ペブルビーチに来る前は、クロカンを3年間続ける自分など想像もしていませんでした。サッカーのための体力づくりという些細で受け身な理由ではじめたクロカンに、3年間を通して多くを経験させてもらえ、多くを学ばせてもらいました。 

正直言って、競技としてのクロカンに今後関わろうとは思いません。練習はひたすらにきついですし、サッカーやらスキーといった自分が好きな他のスポーツに比べて特別に魅力を感じるということはありません。好きか嫌いかで言えば、嫌いの部類に入るレベルです。でももしかしたら、クロカンが嫌いだったからこそ、僕がクロカンから学んだことは、例えばサッカーから学んできたことより明確なのかもしれません。苦労があったからこそ、自分の成長に敏感になれたのかもしれません。好きじゃないものにも時間をかけてじっくり付き合えば、得られるものは確実にあるのだと感じます。好き嫌いにとらわれず、新しいものに挑戦していきたいな、と感じる今日このごろです。 

ということで、運動不足の僕は今からジムに行ってきます。ではまた次回のブログでお会いしましょう。 

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