ボーディングスクールと芸術

こんにちは。最近サンディエゴが暑すぎて夜の寝付きが悪い江原です。今週は、芸術の秋にちなんで、ボーディングスクールでの芸術活動について書きたいと思います。

僕はStevenson Schoolでの三年間、陶芸活動をしていました。

Stevensonの学生は、卒業までに何かしらの芸術科目の授業を一年以上履修することが義務付けられています。芸術科目の授業といっても色々と種類があり、絵画、陶芸、建築、写真などのスタジオアート系の授業もあれば、コーラス、ジャズバンド、演技のような舞台芸術系の授業もあり、はたまたラジオの授業なんかもありました。それぞれの種類の授業に生徒の経験と力量に応じたレベル分けがあり、例えば、Drawing & 2Dという図画の授業には1, 2, APと3段階ありました。

そんな中で僕は、Ceramics 2という陶芸の授業を3年間取りました。陶芸には2段階のレベルしか用意されていなかったのですが、僕はStevensonに来る前から陶芸経験があったということで、はじめから上のレベルの授業を取ることができました。授業は週に3コマ(45分/コマ)あり、それ以外の時間でも陶芸スタジオは自由に使うことができました。特に課題などが与えられることもなく、先生のアドバイスをもらいながら各自が作りたいものを作っていくクラスでした。扱うのは陶器のみで、僕は基本的にろくろでの作陶のみでした。

Stevensonに来たばかりの10年生の頃は、どの授業に行くにも毎回緊張していたような記憶がありますが、このクラスに関しては、ほとんどそういうことはありませんでした。クラスの担当だったトンプソン先生は、とてもフレンドリーな人柄に加え、1970年台に清水焼の窯元に留学されていた方で、片言の日本語がしゃべれることもあり、陶芸スタジオで過ごす時間は、毎週の楽しみでした。とはいえ、それまで使ったことのない器具に慣れたり、陶芸関連の英単語を学んだり、そしてなにより、土を捏ねる段階から窯で焼くまでを自分で全てやるのは初めてだったので最初はかなり苦労もしました。

陶芸というのは、言ってしまえば器を作るだけの作業なのですが、かなり奥深いと同時に忍耐が求められるものでもあります。例えば、ひとつシンプルなお茶碗を作るのであっても、まず土をこね、それをろくろで成形し、ある程度乾燥させたら底を削って高台を作り、窯で焼き、釉薬をかけ、もう一度焼く、という一連の作業が必要です。これらの行程ひとつひとつでそれなりの技量が求められます。土をうまくこねれないと成形中に破れてしまったり、ろくろで思い通りの形にならなかったり、底を削り過ぎで穴が開いてしまったり、焼いてみたら釉薬の色が予想していたものと違ったりと、満足できる作品ができるのはむしろ稀です。(もちろん僕の技量不足もあると思います。)僕自身も、Stevensonにいた3年間でかなりの数の作品を焼きましたが、胸を張って満足できるものは(もし挙げるとすれば)3つばかりです。

とはいえ、よっぽど穴が開いているとかでなければ(むしろ穴が開いていても)、どれも作品としては成立するので、陶芸(そして芸術)というのは半分以上自己満足の追求なようにも思えます。自分では満足している作品が他人に評価されるとは限らないですし、その逆も然りです。むしろ自分の中では失敗作だと思って割ってしまったお皿も他人にはよい思われることも多々あるわけで、そう考えると少し馬鹿らしくなったりもします。そもそも肝心の芸術に対する評価基準というのが一筋縄ではいきません。人間の「美しい」という感覚自体がかなり曖昧です。美をどうにかして説明するならば、概念的な美しさと感覚的な美しさの2種類にわけることができるでしょうか。概念的な美しさというのは、フィボナッチ数列が美しいとか、所謂抽象芸術が美しいとかいう、考えて捉える芸術観です。対して、感覚的な美しさというのは、いわばもっと原始的なもので、朝日をみて綺麗だと感じるような感覚がそれにあたると思います。大抵の芸術作品はこれら両方がごちゃまぜになって評価されている気がします。ということで、何を作ればそれが美しいと評価されるかは、考えれば考えるほど出口が見えません。そんなわけで、結局僕自身は自己満足のためのみに陶芸をしているわけで、他人の評価はそこまで気にしないようにしていました(もちろん褒められればうれしいですが笑)。ちなみに、自己満足にも明確な基準はありません^^;。
今年の春、卒業直前に作った鉢

(そもそも、陶芸は本来、器という生活必需品を作るための手段であったわけで、芸術である特別の必要はなかったはずです。ところが、文明が発達するに連れ、宗教が発展し、陶芸も芸術の表現手段のひとつになりました(多分)。もしこれが正しければ、似たようなことが陶芸以外のいくつかの芸術分野についても言えるかもしれません。文明のピースはある段階からアートミディアムになっていくということです。例えば、50年前にコンピューターが芸術作品だと考えていた人はほとんどいなかったと思いますが、今では「iPhoneは芸術だ!」みたいなことを言う人が多数存在するわけです。)

ぐだぐだと理屈をこねてしまいましたが、僕が3年間陶芸を続けた理由は、自己満足の追求と、陶芸特有の土に触った時の心を洗われるような感覚が好きだったからです。ストレスが多いときでも、土に触ることが心の平静を保つ助けになっていました。今の大学では陶芸をする機会はありませんが、今後も折を見て陶芸を続けていきたいです。

また、僕自身はそうではありませんでしたが、APレベルの芸術クラスを履修する生徒も多く、芸術系の大学を進学先に選ぶ同級生も一定数いました。そういった意味で、芸術系の科目に本気で取り組みたい人にもボーディングスクールは大変おすすめです。

それでは今週はこの辺で。来週の投稿にもご期待下さい。

P.S. ななせは大学受験にともないしばらくブログをお休みしています。ご了承ください。

コメント

  1. こんにちは!
    麟太郎です。

    自分はコネチカット州のSuffield Academyに在学していました。
    そこで自分はジュニアとシニアの2年間美術に取り組みました。
    中学時代、美術を撮った際に教員方に評価されていたのですが、時間の関係上、高校の一年目は美術を取っていませんでした。

    自分の学校も、
    「アート」を細分化したクラスがありました。
    ・写真/映像
    ・ペインティング/デッサン
    ・セラミック
    ・デジタルアート
    ・版画
    etc...
    ジュニアに上がった際、自分はStudio Art 1を取りました。
    Studio Art 1基本中の基本で、様々な画材や表現を通してアートの大まかなコンセプトを学ぶクラスでした。未経験者では無かったので簡単かと思いましたが事は想定より上手く運びました。
    Studio Artには4年分のコースと、そのコースの中でも優れたhonors がありました。Studio Art 4 honers というのが学校で一番の特進コースでした。(4年目のStudio Art: その中でも優等生のみにオファーされるコース)

    自分はStudio Art 1の一番最初の課題、「学校の風景を木を中心に描く」をかなりのクオリティで描き上げ、先生の間で話題になりました。

    他にも課題がある毎に充分以上の作品を納品しました。
    学期の終わりに先生からオファーを頂きました。
    次の学期に自分をStudio Art 1honors にしてくれるオファーでした。GPAは自動的に.33プラスさせるので次学期は迷わずStudio Art 1honorsを選択しました。

    そこでも自分は課題が早く完成して時間がありました。自分が作ってみたい作品があったり、使ってみたい画材があったので、新しい道具や画材を集めて貰える様、先生方にお願いしました。

    エポキシやハンダコテ、キャンバスから巨大な木板など、様々画材集めるのに協力をして下さり自由な制作活動に打ち込めました。
    中でも、アートセンターにある4台あるStudio Art用のテーブルの1台が自分の作業場として提供されたのは自分ビックリしました。
    暇な時間はそこに行き試行錯誤してました。

    先生方の協力で、ジュニアの学年が終わる頃には20近くの作品を残せました。これは勉強する環境と言うよりは、研究の為の環境と思います。
    良い部分は集中して伸ばせる。
    こういう部分は、ボーディングスクールの強みなのだと認識しました。

    シニアになった際は、ジュニア時代での努力と結果が認められ、Studio Art 1からStudio Art 4honorsに飛び級もさせて貰いました。

    当時校内での“ライバル”というのが居なかったので社会で活躍する、アートで生計を立てている方々から話を聞いたり、作品を一緒に作ったりしました。
    しかし、受験や周りからのプレッシャーもあり、最後の学期は思うように作品が残せませんでした。また、生活のかかったアカデミックの領域を出たアートはやはり厳しい部分が多々ありました。次第に先生に頼る事が難しくなり、孤立もしました。同時に学校のアートに対する体制やシステムにも不安が出てきたり、問題点が見えてくる様になりました。
    辛うじて作品を幾つか数える程残せました。
    当時は失敗作が多かった気がします。
    一般的に言われる「スランプ」だったのでしょう。
    在校時にスランプを脱することは出来ませんでしたが、高校を卒業し、自分はコルビー大学に進学しました。

    当時は苦い思いをしていましたが、現在はスランプを脱する事が出来ました。
    現在、大学でも要求されている以上の作品を生み出せるよう努めています。

    今改めて考えてみると、作品が残せなかった最後の1学期も意義があった興味深い時間だったと思えます。
    確かに学校のアートに対する問題点も無いわけでは無いのですが、カリキュラム自体の許容範囲はとても広く、フレキシブルな環境と自分は思います。
    アートのみならず、教養としてのアートや、自身の人間性と向き合う場となっていたのだと思います。
    そこはどんな形であれ、確かに教育の場だったと思います。

    ボーディングスクールのアートプログラムを通じて非常に良い経験が得られたと思っています。




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